おばあちゃんのことを韓国語で「ハンメ」と言います。
うちではハンメのことをなぜか昔からハンメちゃんと呼んでいます。
日本語にすると「おばあちゃんちゃん」・・・「頭痛が痛い」とかその類ですね。笑
そんなハンメちゃんがつい先日この世を去りました。
御歳103歳、3回目の危篤を迎えいよいよ脳死状態となり、家族が最後のお別れをするタイミングで急に息を吹き返して喋り出しお医者さん驚愕、持ち前のハートの強さをしっかり見せつけて逝きました。大往生です。
私は(大きな声では言えませんが)たぶん孫いちハンメちゃんにえこひいきされて育ちました。
お正月にはいつも廊下に呼び出され「私はあんたが好いとるきね、これは秘密ばい!」とこっそり多めにお年玉をもらいました。
謎めいた朝鮮民謡もいっぱい歌ってもらいました。
時々ヤクルトと、ビールもこっそり飲ませてもらいました。
反抗期に反抗すると大人げなく倍返しされました。
でも険悪な空気が長引くと予定より早く一人暮らしの家に戻っていき罪悪感で苦しめられました。
私が風邪をひくと大量のテールスープを作って届けてくれました。
ハンメちゃんが家に来るとなぜかサボテンの花が咲きました。
クリスチャンで毎朝近くの公園にお祈りに出かけてました。
朝ごはんができたからハンメちゃん呼んできてと母に言われ公園に向かったら、ベンチに座ってお祈りしながらハンメちゃんはいつも一人でオイオイ泣いていて、子供心に見てはいけないものを見た気がして、公園に呼びに行くのがいつも嫌でした。
歳を重ねていくほどに色々と記憶がおかしくなって怪我も多くなって、一人暮らしの家を引き払い施設で過ごすようになったハンメちゃんは、少しずつ周りを忘れていくようになりました。
それでも孫の中で私のことだけは覚えていたハンメちゃんは、施設のエスカレーターの中で家族がたくさんいるにも関わらず「みんなには秘密やきね」と私に小銭の入ったポチ袋を渡してくれました。(施設に入る際にお金は全部没収されたはずなのに!笑)
なんだか最後のお年玉な気がして、今も持っちゃってるですね、これ。
その後いよいよ私のことも忘れてしまって、それでも元気でいてくれさえしたらそれでいい、そう願っていたけれど。
元気でさえもいれなくなったら、人は人に何を望むのだろう。
そんなことをぼんやり考えながら、ハンメちゃんとの過去が未来に繋がってる気がして、記さずにはいられなくなって。
もっともっと色んな話があるんだけれど、アウトローすぎて書けない事ばかり。
うちの父曰く私はハンメちゃんと気質がそっくりらしくて、それは嬉しいようなヤベーような。笑
身内1過激で、リアルヨイトマケで、感情的で、音楽が好きで、気が強くて、笑顔が可愛くて、私を唯一韓国名でルンニャーと崩して呼んでいた、死ぬほどのエネルギーで生きていた人がいなくなってしまった。
この哀しい気持ち、言葉にするとシーンだ。雪景色の中で聞こえてくるあの音だ。
仕事も調整させてもらいお通夜の日に帰る手配をしたのに、急な発熱で寝込んでしまった自分の体の空気の読めなさだけはほんと最悪だけれど、元々私こういう間の悪い子供だったな。
体の痛さでか寂しさでか涙と汗でまみれた意識朦朧ウィークはそろそろ終わりを迎え、何日かぶりに化粧水を塗ったら気持ちがいい。(←最悪だね)
ヤクルト飲みたくなってきたな、買いにいこ。
ハンメちゃーん。